冬が来た

今朝、出勤時に車の窓ガラスが凍っていて本格的な冬の訪れを感じました。冬か……。飲むために持っていた白湯を窓ガラスにかけました。お湯をかけるのって本当はいけないんだっけ?

異動したい気持ちは最高潮のまま、業務負荷が本当に低すぎていつまでこの遊びの状態なのかが気になるところです。上司の築きたい新体制に私がいらないこと、自明だし合理的なんだけど、やはりひどく不合理なことにそれ起因でのモチベーションの低下だとかを感じてマズロー欲求段階説を思い出します。所属欲求が満たされていないのね*1

自分の合理性を優先させる側面を人間との関係の中でさまざま感じることがあって、自分の酷さと他人はそこまでひどい人は少ない*2という認識を日々新たにしています。仕事が関係しない時、人間関係に合理性はいらない。そう無条件に信じこめはじめているのでこのままキープしたい。きみのその合理性を他人にも想定するところでおそらく想像よりずっと他人を傷つけている。

思えば、23年間の間合理性とかフレームワークを第一に叩き込まれていて、さらには人をコマと扱うひとの多い環境に8年ばかりいた弊害であるというのはやはり思わなくはない。父はジュニアコンサルかのように接してくれていたけどやはりなんだかんだ人間で、家族には優しかったなと回顧する日々です。たぶん今の私はわたしばかり様々なことを制限されていて、なぜ他人のために便宜を図り続けたり他人のお気持ちを尊重しなくてはならないのか?という根本的な感情からこんな感じになっている感じは否めないなと自省しています。改善を求めるのであれば善意の第三者でありたい、この気持ちは日々つもるし、矯正できると思った過去のわたしには後悔するぞと囁きたい。リクルーターに懸念された事柄は正しかったんだよ。

ともかくとして、わたしは期待されたいし、それを明示されたい、それを良しとしない現況についてはたぶんお互いに不幸な環境なんだろうということがわかりました。当社のとりあえず変な毛色だから取っておこうの精神、あまりにも不幸なアンマッチを生む。転職しにくい地方に閉じ込めたのは会社の意地なのかな。アンマッチをは土地起因もなくはないので一概に言えないけれど、本社で同じ気持ちだったらもうここにはいないだろうということはわかります。

ということでお気持ちは認めて過去のものとしたので、2018のベスコスと最近めちゃくちゃお昼にローテしているヨーグルト/グリルチキンの品評は年内にやります。おたのしみに。

*1:でかい会社でミスってもクビが飛ばないのによく言うぜ、と言う感はおいておいてだな。チームからも会社からも浮いた気持ちしか持ったことないもんなぁ…

*2:それでもそれを上回る人間もいなくはない