普通話とわたし

一種の言語おたくである、ということについては疑いようもないけれど、わたしのアジア系言語に対する理解は大変に解像度が低い。
こまったから覚えた、面白くて覚えた、対訳したくて再開した、ここらへんでしかなく、他の言語のような語源を探る旅をしていないのだ。
それでも広東語については英語以外に初めて興味を深く持って着手した言語であって、高校に上がって初めて日本橋丸善でテキストを買って自主的に進め始めたものの一つであるが、一方普通話は、というところであった。
わたしは高校2年生になるまでメインランド・チャイナに上陸したことがなく、ほどほどに漢文の成績はよかったし興味は深かったのだけれども、全く読めなかった。字そのものが。のちに訪れリアルサクセスを踏む上海ではなく、広州であったからか、本当に英語も何も通じず、わたしの知っている繁体字もだめだった。英語はリングワフワンカなんかじゃない、と思ったわたしは、数カ月後の新年度履修届で当初の予定通りのフランス語に加え、普通話のクラスを足し増すのだった。それからはいくらか、旅行には困らない程度の普通話が見についたけれども、あとは活用されたためしがない。海外に出た時に英語がなくとも、フランス語か中国語がある場合、特に後者は結構あって助かるということはあるけれど。社会人になってからは、中国語のドキュメントの抄訳のよくわからない機械翻訳の日本語を読むくらいなら原本を目に通し、その内容の精査をする、という点で身を助けたことは数度あった。それから台湾版機流警察を手にし、ある程度読み進められている事か。対訳趣味はわたしの根底にある趣味の一つで、これはできたら手放したくはない。
タイにもよく遊びに行く割に、そして初等教育のときに交流でごあいさつやらを複数年やった割に、全くタイ語については読み書き会話すべてができない、する気もまだ起きていない。それは多分英語が十分に通じて、一度あった旅行での道わかんないトラブルでも英語会話能力に助けられたから余計に食指が動いていないというのはあるだろう。ベトナム語も同様だ。とはいえ、わたしはあの土地にはタンソンニャットがまだ古かったときに一度しか訪れたことがない。でも今度休暇で行ってみるのもわるくないかとも思っている。シェラトンであってもシーツは好ましい雰囲気ではなかったし、交通はひどかったけれど、記憶は甘やかだ。今度は恋人とのんびり南国でワンピースで過ごして、水遊びをするか昼間から少しお酒を飲むかして、きちんとリフレッシュ休暇を送りたい。
マレー語もいくらか一人の長期休暇をKLのホテルで過ごすようになったのに一向に覚えない。でもこれはわたしのフランス語の先生は皆口を揃えてわたしたちに言っていた言葉で安堵して手を付けていない。『仏語の動詞活用ができるのであれば、マレー語はいつ手を付けても大丈夫』。平林さん元気かな。わたしの最初のフランス語の先生でした。もうひとりの小町さんには習っていないのに、まるで持っている子のようによく廊下で話しかけられたっけ。
いずれにしても、駐在するとなれば多少は覚えるのだろうが、今のところその目星は立たない。でも駐在するとしてもシンガポール事務所かアメリカ、中東がいいなあ。欧州地域はいけない気がしている。悲しいけど