空港と飛行機がすき

この間、空港デートでターミナル間移動のバスに乗っていた時、ふと昔はバスでしか国際線ビルに行けなかったなということを思い出した。羽田国際線が暫定ビルでなくなってから、見かけなくなった人がいる。
おジャ魔女さんである。

毎年の年末年始、実家の家族は旅行に出ていて、親戚と過ごした記憶は一度もない。*1
その理由は興味もなければ深堀りする気もないが、少なくとも私の生まれる前から両親の生活スタイルとしてはそうであったという風に聞いている。まあいい、片方は雪国だし、もう片方も確実に年末年始家を空けているだろう。一番上同士でありながら、実は思ったよりも親戚の数は少なく*2、私は年末年始に帰省するという文化を働き始めて遠隔地に閉じ込められて初めて知った。学生のうちは実家から通っていたし、当地勤務は精神衛生上、めちゃくちゃに悪い。たぶん北は仙台、南は広島くらいまでだったら帰らなかっただろうな、とは思う。確実に千葉勤務をつづけていたらばわざわざ年末年始には帰らなかっただろう。*3
旅行に出ていて、東京発のとき使うのは成田か羽田だった。年末年始の行先としてはアジアか北米が圧倒的に多く、温かい地域もあれば隣国ということもあった。これは父が一応はフォトグラファーとして*4ノスタルジックな建築の写真を撮りに出かける、これも副次的要因として存在する。主たる理由は旅行が趣味の両親が海外発券をしていたことだろう。群山で赤貝の刺身を食べて翌日から吐き通したのは未だに忘れない*5し、あの灰色の空と開けた土地から見える大きなガントリークレーンは未だに大きな印象を残している。近年、あの土地の造船所は閉めてしまったと聞いたので、もう二度と仕事でも見に行くことはないだろうが。何の因果か、忘れていたのにそれに向かうような担当の仕事についていたりするし、こうして過去が現在にふとした瞬間に影を落とすことには不本意ながら若干の愉しみがある。
金浦路線は圧倒的に羽田発だった。仁川のときは成田、これらの組み合わせは割とないまぜであったけれども、年末か年始、特に年始は羽田利用が多かった記憶がある。そんな中でバゲージクレームの際に一番見かけるのは父の友人*6、そして税関以降で一番見かけるのがおジャ魔女さんである。後の照会によれば、いずれの空港でも出会っていたっぽい。

彼は父と同じくらいの年恰好の男性で、薄着で*7、毎年ピンクの擦り切れたおジャ魔女どれみのリュックを背負って国内線との連絡バスに揺られていた。時間帯的にも同じ飛行機に乗っていただろうが、機内で見かけたことは2度ある。最前列と私の後ろに座っていたし、優先搭乗をしていたのでおそらくスターアライアンス・ゴールドかなんかだったのだろう。*8でもラウンジで見かけたことがないな。いずれの回もCAさんにクレームに近いお話を延々としていた記憶がある。席が近いと聞こえるよね。ともかく、彼の風貌は印象的で、数年に渡って見かけていたにもかかわらず毎年同じような恰好、同じかばんだったのだ。記憶に残っている私が彼を見かけた最後の年はちょうど同シリーズの終焉の年*9だったようだから、以降の年は別の女児アニメのアイテムを纏っていて、気づかなかったのかもしれない。でもナージャだろうがプリキュアだろうが、目立つと思うけど。*10いつだったかバスで目の前を見上げて彼が立っていた時にふと年を越したな、と思ったので彼の記憶は新年の空気と結びついている。おジャ魔女の方、と母がたまに彼を示す語を使っていたけれど、知らない単なる遭遇者であるのにいまだに両親の記憶にもきちんと深く刻まれていたのを本日確認している。私よりも記憶が薄まるのが早い両親、いずれも彼が座っていた座席位置まで覚えていた。おジャ魔女の方ってなんだ。北の方か。魔法使いじゃないか。
あれから高校二年になるまでは家族旅行の習慣があって、高校二年の年末年始に広州香港へ行った時の記憶も面白く、また言語おたくの大きなきっかけの一つとして刻まれる出来事ではありますが、一方でおジャ魔女おじさんは見なくなったのである。中学の時は大概東海岸と往復した記憶があるけれど、もちろんその時は見ていない。彼もまた、まだ旅行の中にあるのだろうか。

*1:おかげさまで、お年玉の習慣も基本的にない。

*2:単純に私が知らないだけかもしれないが

*3:代わりに月内で度々帰っていたというのは実績として存在する

*4:偶然にも高校の同期がインスタグラムに挙げていた写真集は父の参画したそれだった

*5:あと、最近日本のスーパーでもよくでてくる透明の歯ごたえのあるプチプチがあって結構好ましい食感だった。もしかして使いまわされたかもしれないそれが原因か?!

*6:とはいえ、私と母を認識していたかは不明だ。この人は他の連休のとき、もちろん成田であってもよく遭遇した。父の日程に合わせこんでいたのかもしれないが。彼は未だに父と親交があるときいている

*7:後述するが、冬の韓国はクソ寒いのであの薄着は信じられないと着込んだ我々は思っていた

*8:父はさらに詳細も覚えていたが、伏せる

*9:2003年だって、もう16年も昔になるのか

*10:余談だけどナージャの薄暗さは20歳の時に留学前に見返して初めて良さがわかりました。ローズマリーちゃんを抱きしめたいよ…。私の年代は女児だったころにセーラームーン、小学生の時代にどれみなのでセーラームーン世代と言ってはばかりません。うさぎちゃんと亜美ちゃんが好きでした。幼馴染のおねえちゃんと、高校来の親友は美奈子ちゃんが好きなのめっちゃそれっぽい。