本をよむねこあるくねこ

実家に帰っている。実家の前にはふっるい日本家屋の廃屋があって、ここらへんの野良キャッツの都心らしい。いつきてもなにかしらの毛玉がいるのだ。急な、一瞬の喧嘩の声やお風呂に入る前にふと屋上のネコの面々と目があって(そして逸らされて)いたりもする。それから隣の写真館のイヌは道行くネコがこわいらしく、情けない唸り声をうぅと漏らすのもたまに聞こえてくる。

なお、彼らは道で会っても一瞬こちらを気にするだけで歩みを早めもなにもしない。完全に土地の主として君臨している。前電話しながら歩いていたら、さっと逃げられたがそれは虚空に向かって話し続ける女を異常と検めたからだろう。

年が改まって読書をこってりとしています。年末年始ってやることもないし、積みは深まるばかりだし。去年のハヤカワの翻訳セール、クリスマスの国内sfセールでずいぶんと積みを深めました。

1.出エジプト記

なんでキリスト者でもないのに新年からこれを読んでいるかというと異動(ことしあるはず)が出たら絶対にこれを踏襲して出オ…タ記をぶん投げるからです。勤務地が嫌いなのできちんとネタくらいには昇華しないとここ数年の災禍と受難が浮かばれないだろう。ナタリア・パッションが土地には存在する。

読んだことがなかったので最後まで読みましたが、案外モーセが人間っぽくて(そしてばっちり非ホワイト企業の中間管理職めいていて)ぅゎ…という感想を深めました。初手の感想として最悪ですね。人間が人間していてとても良かったです。モーセに文句たれたりとかね。俺に言うなってモーセもそらいうわな。神のイメージってやっぱり試練を与える人だよな。初詣前にそういうこというのやめてね。

誰も助けてなんてくれなかったと思っているし、私のそれは不要な試練だと思っているけれど。数年後この感想が変わるのだろうか。

いなごが東からくることを地図を眺めながら考えていました。前野ウルド浩太郎氏の「バッタを倒しにアフリカへ (光文社新書)」の印象が深いからかもしれない。氏の著作は本当に名著なのでよむべき。

あと本当に聖書は開くと眠くなる。中高生か。

2.酉島伝法「皆勤の徒 (創元SF文庫) (創元SF文庫)

ネチャネチャした生き物のイメージが手元のメモにすごい残っている。しかも、後述のスタンプにでてくるのとすこし形が違う。酉島氏と意思疎通できていなかった可能性。造語がすごい。これは対訳趣味のあるわたしへ秋くらいにリコメンドをもらっていたやつなのですが、けっこうハードと聞いていたので気力の回復を待ってよみました。うん。南方で読めたとは思えない。*1

音だけは日本語のそのままに、漢字を別に当てて意味を確保しているのがすごいはちゃめちゃに面白かった。漢字に意味があるし音は従来のイメージを引き継ぐのできちんと世界のイメージが伝わってくるのすごいな。英語版が本人以外の人の訳で刊行されているとのことなので、もう一度原典を読んでから向かい合いたい。*2英語版未読だけどどう意味を引いてくるんだろう。ラテン語由来とか接頭詞とかでもってくるのかなあ…

設定資料集、これを併せて刊行しているのがすごい。(スケッチもね)本当に同じ言語だけど別の世界っぽくておもしろい〜もう一度記憶をなくして読み返したいな。現行文明が一旦滅びて新しい文明が築かれているのすごい好きな要素ですが、しゃちく(のたぐいのもの)はふめつなのだなあ。読んでいるときも思ったけど、きちんと計算されて世界が出来ている(のと同時にそれが頭の中で成立している酉島氏がすごいな…)のを感じる。設定集読んでなお深まる同感想。

あと読んでいてアバタールチューナー(五代氏のクォンタムの方ではなく、ゲームの方、しかも2のほう)の食缶工場を思い出していた。クヴァンダ所長の造形、多分作中に存在してもおかしくないように思う。ちょっとスッキリしすぎかもしれないけど。それからラインスタンプが存在する意味がわからない。誰に送ればいいの。

3.辛酸なめ子女子校育ち (ちくまプリマー新書)

明日は女子高時代の部会なので再読。筆者もJG卒なのか。JG卒の先輩は文章のおもしろい素敵な方が多いのだけど毛色は違う雰囲気がありました。彼女たちの感想をむしろ聞きたい。

女史の想定のガッコ卒ではないようなので(数度名前は出てくるものの)よそってそうなんだ〜という他人行儀な感想が深い。ちょっと違うんじゃないの、と思う箇所は私に受験がなかったからだと思いたい。すごく納得しているのは女子校卒は個性を伸ばせる〜あたりのもので、共学卒の女性がすごく怖かった大学時代を思い出しました。まあ、埼玉の中学3年生をしていれば体感7〜8割くらいの確率で女子校に行く*3のでいずれにしても私は女子校育ちだったんでしょう。それでよかったとも思っているけれど、おとなになった今でも男子中高生とかいう身近に見たことのない生き物は怖い。それの亜種の、大学1〜2年の男の子たちもまた怖い対象です。

中で出てくる荒れた様子の学校については恐ろしく、本当にそんなことがあるのだろうかとすら思っている。女子校って別に荒れなくない?社会風潮かな?

いじめとかも中学時代とかはあるでしょうなあ、と思うのですが、いかんせんコロニーが違えばなにもない、とかもざらにあるわけで、アンケート先の世代と照らし合わせれば時代の変遷がきっとある。女子校、追うオトコノコもいないしいじめで荒れなくない???ほんとはけっこうあったの?わたしがぼんやり趣味しかおってなかったから?なの??ちょっと変わった子でもまああの子はああだから、で済まされていたように思うよ。

でもたぶん今はいじめとかよりどこのガッコもパパカツとかでゼンコーシューカイとかされてるんだろうなあと思います。それで生まれるいじめはあるのかもしれないね。

女子校を出て共学の大学に入学した後、女子校時代の友達が様変わりしておとこのひとにしなだれかかっていたりしてすごく怖かったなという記憶が蘇りました。レズビアンめいた関係〜のくだりでのことだけど、そんなことはない環境だったけれど、なにか異世界に来たかのような気持ちすらあって、おそらくそれもあって大学入学から少しの間適応できていなかったのだろうと思います。そもそも春ってよく見せようと背伸びしていたりする病気が流行るからなあ。本を読んで回顧していたけれど、きっと女子校という環境のほうが異世界だったんだと思う。それでもそこで出来た友人たちは大切なので、これからも一緒に折々を振り返っていきたいのだけれど。

たぶん共学卒の女の子がこわいのは、最初からうまく男女込みでの人間関係を築いていたり、男性からの視点ありきでの魅せ方のうまい人間関係を築きがち、かつきちんと彼らを立てることであって、女子校卒の人にそれめいたものをされると自分ができていないことを責められている気持ちが幾らか湧いている、だからなのだろうと思っています。うまくいかないしいかせる気もないのだからそんなこと考えても仕方がないのだけれど。

麻布の下りだけは笑った。ハチャメチャな人が多いと聞くけど、意外と知り合いは多くない。むしろ同級生の兄弟が麻布、というのが多かったように思う。世の中そんなに荒れたインカレ合コンが開かれているなんて、塾に行かないガッコの子供は知らなかったよ。そういえば男子校の文化祭に行くのが好きな同級生は揶揄されていたな。下心の市場に出るのは10年前も今も変わらず大嫌いで、未だに合コンも好きじゃない。いわんや婚活。ああ、女子校卒だなあ……。

4.おおたとしまさ「地方公立名門校 (朝日新書)

父との討論のために。紙の新書だしサクッと読み終わる。地域性も加味すると、東京近郊ってやっぱり特殊地域だね、という結論で討論は締めました。人には人の思想と決断があるので。

東京近郊以外であれば、本著におけることは間違っていないし、ブランド性というか綿々と継がれている思想のミームはあるので可能であればその系譜に連なるのは大事だと思っています。両親もそうなのに私が「そうじゃない」から議論したかったんだろうけど、この土地に生きていてその選択をして、東京の国立に行く気が起きたとは思えないな。(正直出身校よりももっと手頃な私立の理系にいっていたか、原初に正しく府医に行くべく浪人もしていたと思う)

また、本著ではさいたまという地域の微妙さを考える結果となりました。県南の子は私立に出るよね。私の周りは微妙に、東大に行きたいと漠然と考えていた子は県立に、そうじゃない人は都内私立に出ていた気がしました。そもそも都内私立って書いたけど県内も含んでいて、大学受験がない、それが合言葉だったように思う。

カイシャに入ってから、この手の学校を出て国立に行き、なのかそうじゃないけど最終地点同じ学校に行き、という人々の話をたくさん聞く機会がありました。個人的にはとても、本著に挙げられているところの出の人々の矜持というのは好ましいと思っていて、彼らの間に感覚的差異がある事自体が個々の土地の歴史なのだなあと感じています。私が出自の文化を愛すのと、多分それは同じ。

1日なのに結構本読んだな。原稿は全く進んでいません。

*1:でもほぼ丸一日を使ってしまったくらいには面白かった。これは私の中での最上級の褒めですが

*2:これを訳す労力に拍手したい。本人が訳して刊行したのだと思っていた。ナボコフに毒されすぎだろうか

*3:県立も私立も別学校が多い